YS-54の日記帳です。
<< 個人情報流出の報を受けて | main | 春セメスター末試験を控えて >>
我が町四方山話
category: JUGEM/携帯電話からの投稿記事 | author: YS-54
0
    自治会から、舞阪町の閉町記念誌「夕影(ゆうかげ)」が、配布されてきました。
    舞阪町は、明治22年の町制施行から平成17年の市町村合併まで、実に、116年の歴史を刻んできました。古くは、縄文時代から人が住み始めていた、という歴史も残っています。これは、街にある舞阪町郷土資料館に寄贈された、土器の破片が物語っています。舞阪町ははじめ、「廻沢(まわさわ)」という地名で呼ばれ、時代を経るにつれて舞沢(まいさわ)、前沢(まえさわ)、前坂(まえさか)となり、そして舞坂(まいさか)となったのです。本記事をご覧の通り、字体の異なる「さか」という漢字が使われていますが、現在の「舞阪」となったのは、町制施行後のことです。
     また、ここで初めて知ったことは、舞阪町もB29による空襲を受けていたことです。このときの死者は、2名でした。それ以前にもB24が漁船を襲撃し、死者4名、重傷5名の被害を出しています。当時のアメリカの極悪非道ぶりが、よく分かります。そして、1945年8月15日の終戦時には、舞阪町での戦死者は226人に上りました。
    終戦から数年後の昭和28年、舞阪町、雄踏町、新居町で浜名湖競艇組合が組織され、今の浜名湖競艇場が開設されます。昭和29年、乙女園に県立水族館が開設されますが、昭和44年に惜しまれながらも閉鎖されました。水族館のような施設は、平成12年に県水産試験場に併設された、体験型研究施設「ウオット」の開設まで、空白となります。昭和38年には、町立保育園が開設されます。これは、昭和21年に開設された、弁天島同胞寮の施設を借りて始めたもので、町内最初の保育園は弁天島にあった、ということになります。さらに、伊勢湾台風の影響で住宅が浸水し、災害救助法の適用を受けたりしました。時代はさらに進み、河合楽器舞阪工場が完成し、ピアノの生産が始まりました。
    市町村合併の話が出たのは、今の日本が抱える少子高齢化問題および福祉制度の変革も重なり、平成14年からその話し合いが始まります。そして話し合いから3年後の平成17年に浜北市、天竜市、雄踏町、細江町、三ヶ日町、龍山村他の自治体と共に浜松市と合併、舞阪町は116年の歴史に幕を下ろしたのです。
    思えばもう合併から1年。この街も私も大きく変わりました。今後、どの様に変わっていくかは分かりませんが、社会福祉の学習のため、後数年間はこの街に残ることになります。これからの発展が楽しみです。

    本当は、パソコンからやれば早く済むのですが、すべてのパソコンの電源を切ってしまったため、急遽携帯電話から投稿しました。たまには指を慣らしたいので、私から見れば今回の投稿は、ちょうどいい機会になりました。
    comments(0) | trackbacks(0) | - | - | PAGE TOP↑
    スポンサーサイト
    category: - | author: スポンサードリンク
    0
      - | - | - | - | PAGE TOP↑






      この記事のトラックバックURL : http://ys-54.jugem.jp/trackback/28
      PR
      SELECTED ENTRIES
      CATEGORIES
      ARCHIVES
      LINKS
      PROFILE
      OTHERS
      SEARCH