YS-54の日記帳です。
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    時代――私が出会ってきたもの
    category: JUGEM/携帯電話からの投稿記事 | author: YS-54
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      きょうの夕方のニュースで、津波関連の話題が取り上げられたとき、「安政の大地震のとき、近くの神社に避難した人は全員助かったんだって」と話題になりました。
      しかし、私はこのことを知らなかったので、「えっ、そうだったの?」と聞き返しました。次に「小学校のとき、副読本で習わなかったのか」と聞かれ、「それは当時の教師(社会の授業が担任だったため)の怠慢だ」と答えました(私はゆとり教育の時代を生きてきたので、ひょっとしたらそこまで教わっていなかった可能性もあります)。

      思えばきょうは防災の日、自分自身が『パソコン』という機械に出会ったのもこのころでした。ブログの更新も兼ねて、当時通った学校のこと、触ったことのあるパソコンのことについて書こうと思います。

      当時通っていた小学校は、浜名湖から東に1、2キロのところに位置しています。当時の町役場(現・町総合事務所)も、浜名湖のすぐ近くにあります。小学校も町役場も、いずれ起こる東海地震で、間違いなく津波で真っ先にやられるところであります。
      ――そんな小学校に『パソコン』という機械がやってくるらしい、という話を聞いたのは小学校三年生のとき(当時8歳)。実際に、三年一組の教室跡があてがわれました。しかし、一学期中はパソコンが導入されることはなく、導入までの間、パソコン室は体育の授業で使われるといった状態でした。導入されたのは夏休みの間中で、部屋には真新しいパソコンが20台導入されました。
      当時はPC-98やDOS/V、独自など、規格が乱立している時代でしたが、小学校が導入したのは富士通株式会社製FM-TOWNSというもので、独自規格のパソコンでした。
      そして、私がパソコンが動いているのをみたのは、掃除の時間のことでした。担任の先生に私だけが連れられていきました。先生が電源を投入すると、ブラウン管式ディスプレイにFM-TOWNSのロゴがぼんやりと浮かび上がり、実際にシステムが立ち上がりはじめると、「花火のように」メッセージが流だし、「パラメータが変更されました」のメッセージに続いて出たのはMicrosoft Windows 2.0のスプラッシュスクリーンでした。
      一般にFM-TOWNSというと、TownsOSが搭載されたパソコンのことを言うそうですが、このパソコンには早い時期からWindowsが導入されていました。
      しかし、これだけではありませんでした。なんと、Windows 3.1もインストールされていたのです。
      その後、先生はWindows 3.1を起動して、「駅すぱあと」という乗り換え検索ソフトで小学校の最寄り駅から東京ディズニーランド(当時はディズニーシーはありませんでした)までの案内を出すなど、いろんなことを見せてくれました。
      実際にパソコンを使った授業をはじめたのは10月ぐらいで、この担任の場合、一週間の中で3、4日はパソコン室で遊ばせていました。おかげで、三学期の終わりに実施できなかった(実施しなかった、が適当でしょうか)テストを延々とやったのは地獄でした。

      ところで、小学校三年生の終わりごろに、我が家は初めてパソコンを買いました。富士通株式会社製FMV-DESKPOWER SEで、価格は約30万円。OSはWindows 95でした。この当時のWindowsは、MS-DOSを下敷きにしたようなOSであり、WindowsのインストールもDOSコマンドを入力して開始していました。しかもこのパソコンはPentiumプロセッサを搭載していたにも関わらず、メモリは16MB、ハードディスクは1GBと、今となっては貧弱なスペックでした。しかし、このパソコンは姉が大学で使うためのもので、一ヶ月後には東京へ持っていかれました。
      思えば、「パソコンと言えば富士通」という構図ができあがっていたのはこの頃だったと思います。

      小学校四年生になると、今度は日本電気株式会社製PC-98が一台だけ導入されました。こちらはWindows 95にplus!が組み込まれていて、しかも唯一インターネットに接続できるパソコンでした。
      結局、小学校卒業までの間に使っていたのはFM-TOWNSとPC-98でした。

      中学校からはNEC製PC-9821で、やはり教育用途が中心でした。OSはWindows 95でした。
      当時通っていた中学校は、遠州灘から北に1キロのところにあり、東海地震の津波想定域のところで真っ先にやられるところであります。
      ここでは「ステラナビゲータ」という天文教育関連のソフトを触って学習していました。また、すべてのパソコンがインターネットに接続できることは大きかったと思います。
      また、技術の授業では、教師と私の持つ知識で対決したこともあります(当然勝てませんでした)。

      一方で、中学校一年生のときには姉が東京に持っていったパソコンが戻り、私が本格的に使うことになりました。しかし、エラーが頻発する問題児で、まずはどこまでやったらエラーが起こるか、それを見極めながら使う毎日でした。中学校二年生からは我が家もインターネットに接続するようになり、この頃プログラミングという言葉にも出会っています。私が最初に作ったプログラムは電卓プログラムで、N88互換BASICで書いたものでした。のち、Hot Soup Processorに転向しています。

      高校一年生のころは授業でパソコンを使うことはなく、高校二年生でパソコンを使いました。機種は、最初はメーカー名が分からないWindows Me(校舎移転後はWindows 2000)が搭載されたもので、のち、エプソンダイレクト株式会社製パソコンを使っていました。この頃はかなり本格的な授業が多く、高校卒業前にはオフィスソフトで一通りのことが出来ることが目標でした。

      一方、高校一年生の頃には姉からもらったパソコンが致命的なエラーで再インストールに追い込まれ、インターネットから永久に切断される事態に陥りました。そのせいもあって、iモードをかなり使いまくり、月2万円近くは当たり前でした。このため携帯電話没収となり、高校一年生二学期の終わりまで返してもらえませんでした。
      高校二年生からはインターネットに復帰し、この頃からホームページを立ち上げはじめます。これ以降については、サイトに略歴を載せているので、省略します。

      大学生の頃はヒューレット・パッカード製コンパックなど、デスクトップ機もノートブック機も使いました。この頃はレポートの作成や暇つぶしで使っていることが多かったですね。変わったところでは、自宅のパソコンと大学のパソコンを私のホームページを通して繋ぎ、レポートのやり取りに使ったこともあります。

      一方、私生活では姉からもらったパソコンの廃棄処分、新パソコンの導入など、目まぐるしく環境が変わった時期でもありました。

      ――ここまで振り返ってみると、いろんなことがあったと感じます。小・中学校はいずれも東海地震による津波で一発アウトのところにあり、行政サービスも津波一つで即停止のところに位置しています。東日本大震災から間もなく半年、津波危険地帯に対する早い対応が望まれます。
      また、パソコンも今までは上級者向けの機械から初心者でも気軽に始められる機械まで敷居が下がり、形態もネットブックから、きのうまではUMPCだったものがタブレット形へと変わってきています。
      また、携帯電話もゲーム機(特に携帯型)もコンピュータとの融合が進んでおり、その境界は曖昧になりつつあります。
      それに、ゲームも今ではスタンドアロンからオンラインへ軸足が移りつつあります。「僕の夏休みシリーズ」はスタンドアロン型恋愛アドベンチャーゲームプログラムなので、オンラインゲームが最大の競争相手になっています。「僕の夏休みシリーズ」もシナリオの質をしっかりしておかないと、オンラインゲームと勝負ができなくなっています(あの作品を除きます)。
      どれにしてもそうですが、良いところは伸ばし、悪いところは改善し無くしていくことが大切だと思います。
      これからも時代は変わりますが、それぞれの長所を持つものは長く残ってほしいと思います。
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